そば栽培の発祥の地とその歴史を紐解く
日本全国さまざまな場所で食べられているそば。地方によって食べられ方はさまざまで、全国各地のそばを知るだけでもその多様性に圧倒されるものです。
そんなそば栽培の発祥の地は、実は日本ではなく中国南西部。今回は、そばのルーツについて迫っていきます。
そば栽培の発祥の地「中国雲南省」
雲南省は中国の最南西部に位置し、北西部はチベット自治区、南部はミャンマーやラオス、ベトナムと接しています。そのため、北部の高山地帯は亜寒帯性気候、南部の低地は亜熱帯性気候であり、非常に多様な植物の栽培が行われているのが特徴です。
そば栽培の発祥の地にはさまざまな説がありましたが、1990年に京都大学・大西近江教授が中国雲南省でそば栽培の野生祖先種を発見。その後、雲南省・四川省・東チベットとの境界領域にてそば栽培種が生まれたことが明らかにされました。
そこから日本へは、朝鮮半島または中国北部から入ってきたとされています。
ちなみに、出雲そばをつくり続けて百余年。食品添加物を加えないそばづくりで知られる出雲そばの製造メーカー本田商店は、島根県の雲南市(うんなんし)にあります。
同じそばづくりという事でなんだか縁を感じます・・。
雲南省で食べられるそばとは?
中国雲南省では、主に韃靼そばが食べられています。韃靼そばは強い苦味のあるそばですが、栄養が豊富で、現代日本では健康食品としても注目を集めているものです。そば茶にして飲むのはもちろん、韃靼そば粉に水を加えてこね、薄く焼いたものにスープをかけて食べたり、韃靼そば粉を練っておまんじゅうのようにして食べたりと、多様な食べられ方がなされているようです。
日本で韃靼そばは、そば茶として目に触れることが多いです。焙煎した韃靼そばの実を急須にいれ、熱湯を注ぐと焙煎の香ばしい香りが楽しめます。
中国雲南省の山岳地帯では韃靼そばを食べる文化がしっかりと根付いているためか、ここに暮らす民族の人たちは健康で長寿であるとのこと。歴史ある韃靼そばの食文化を今に繋ぎ、さらに民族として発展させるためにも欠かせない食材として、大変重宝されている様子が伺えます。
日本ではどのように食べられていたのか
雲南省から日本に伝わったそばは、縄文時代から作られていたとされています。縄文時代の中期から日本では寒冷化の波が押し寄せており、寒さに強く痩せた大地でも栽培できるそばが残っていったのでは、といった仮説がなされています。
そばが日本の文献に初めて出てくるのは、7〜8世紀頃に書かれた『総日本書記』で、救荒作物として取り上げられているようです。なおこのときはまだ“挽く”という技術がなかったため、そばの実のまま食べられるのが基本だったよう。味もそれほどおいしくなく、あくまで急場凌ぎの食物という位置付けだったようです。
挽く技術が伝わってようやく発展
現代のようにそば食が浸透したのは、挽くための臼が中国から伝来したことに始まります。そば粉を挽いて粉にすることでさまざまな加工が可能になり、おいしく食べられるようになっていきました。
最初はそば粉にお湯をかけてかき混ぜ、ねっとりとしてきたところを食べる「そばがき」として、さらにそばがきを焼いて食べる「お焼き」、汁物の具材「つみすいとん」などに発展。「そば団子」として食べられていたこともあり、粉にすることでかなり多様な発展があったようです。
その後そばがきを切って食べる、麺状の「そば切り」へ。最初は蒸して食べていましたが、次第に茹でて食べられるようになり、江戸時代にそば屋が誕生。ちなみにそば屋誕生の地は大阪。現代ではそばよりうどんの文化が根強い地域で初めてそば屋が生まれた、というのも面白いものです。
このように中国雲南省で発祥し、日本に渡って独自の発展を遂げたそば。改めて、歴史あるそばの側面に驚きますね。